2012年4月21日土曜日

自分と皮膚、ちょっとエロティック

 黒川(創)「これが小沢(信男)さんなんだと思うのは、小沢さんの作品って、ご自分のことを書いているようでいて、そこから小沢さんの個人史をとろうと思ったら、ほとんどとれない。よくわからない。なんでこの人、二四、五になって日大行っているんだろう、とかね。よくわからない。ぽこっと浮いてくるだけで、それがほんとうに物書きだったんだな、という感じ。
山田稔さんも、タイプは違うけど、それは確かにそうなの。そういう物書きは、作品の皮膚が、生身の自分のままではなくなっている。でも、皮膚は皮膚。そこが、ちょっとエロティックな関係というか。

津野(海太郎)「もちろんそうだろうね。ひねくれたダンディズムだね。」

黒川「うふふ。そうだね。」

津野「自分は自分、皮膚は皮膚というのはいいな。」

黒川「うふふ。小沢さんのはしゃれてる。それが「新日本文学」のなかにあったということは、文学史としても大事なポイントだと思う。」

小沢信男・津野海太郎・黒川創「小沢信男さん、あなたはどうやって食ってきましたか」(2011年・編集グループSURE)より

編集グループ<SURE>HP

2012年4月18日水曜日

ベルタ・ゲール メモランダム

◆「猪俣の生涯の負担となったのがベル夫人であった。彼女はポーランド生まれのユダヤ人でドイツ語を話したが、15年の日本滞在にも関わらず、異国の風俗習慣になじまず、革命家としても猪俣の妻の座にはいなかった“不幸な妻”だった。」
(「猪俣津南雄 〜戦斗的マルクス主義者」1970年「猪俣津南雄研究」第1号・猪俣津南雄研究会)

◆(俳人・河東碧悟洞曰く)「猪俣が検挙-第一次共産党事件-された留守中、僕はたびたび見舞ったが、外人なのにタクワンや味噌汁でご飯を食べていた。感心な婦人でしたよ。それと別居したとは猪俣が悪い。」
(長岡新吉「日本資本主義論争の群像」1984年・ミネルヴァ書房/鈴木茂三郎「鈴木茂三郎選集第2巻」1970年・労働大学)

◆「猪俣が私に話したところによると、「たくさんな大学生のなかで、ある日ふと背の低い日本人の婦人をみつけてハッとしてよくみたら、日本人でなく背やかっこうまで日本人によく似たポーランドの婦人学生だった。会話を習得するには外人と結婚することが第一だと思って結婚した。ところがこれが猛烈なボルシェビキでねえ」といった経緯であったようである。われわれは夫人を通称「ベル」とか「おスズさん」とかよんだ。」
(鈴木茂三郎「鈴木茂三郎選集第2巻」1970年・労働大学)