2014年11月1日土曜日

愚直、愚直

「わたしは走り去る真夏の野を見ながら、「愚直、愚直」と理由もなしにつぶやいてみた。どうやら、わたしもそれにあこがれる年齢に達したらしかった。山歩きもおそらくこれが最後になるだろう。あとは愚直に宣長と春庭を読むほかはあるまいと思った。」
(足立巻一「やちまた」1974年河出書房新社、1995年朝日文芸文庫)

・・・・1967年、急行「きたぐに」に揺られる車中で、恩師拝藤教授こと伊藤正夫の言葉を思いながらの、当時54歳の足立巻一の心境。
私も当時の足立の年齢まで、10余の齢を残すのみとなった。足立にとっての本居春庭のように、生涯を賭けて愚直に追いかける対象は、まだ見つからない。

今の自分には愚直の入り口に立つ資格すらまだないようだ。だから今でも、何を探すでもなく、それでも何かを求めて、また新しい本を買ってしまう。





2013年7月7日日曜日

青山一丁目の新しい書店


先日、流水書房青山店が閉店して以来訪れていなかった青山一丁目駅に降り立つ機会があったが、同駅の出口近くに、新たにカルチャーエージェント文教堂が開店していた。つい先日、6月のオープンだと云う。

以前の流水書房ともやや場所が違い、より小さな店構えの書店だった。当然ながら、時間がゆったり流れているようなあの青山店の文芸棚の面影はないが、小さいなりに同時代に対応したビジネス新刊書などがきちんとディスプレイされている感を持った。同駅の新たな書店として頑張って欲しいと思う。

2013年1月19日土曜日

黒川創の仕事を見ていると、足立巻一の姿がうっすら見える。


◆年明け早々、以下の報道が各紙を賑わせた。

漱石の全集未収録随筆を発掘 作家の黒川創さんが小説に(2013.1.7 産経新聞)

「もどろき」などの彼の小説作品、また「リアリティー・カーブ」などのエッセイ、さらに最近の鶴見俊輔や日高六郎への聞き書きなどの仕事。そして今回の発見。

以前から、黒川創という作家の作品を読んでいると「やちまた」の足立巻一の姿がうっすら見えるような気がしていた。云うならば「ポストモダンをくぐってしまった足立巻一」のような人。

・・・実はまだ今回の彼の小説そのものは読んでいないので、偉そうなことは云えないが。

※追記:実際に『暗殺者たち』を読んでみたらかなり予想していたものとは違った。ただし足立と比して黒川がポストモダンの世界を生きている部分も含め、上の意見はそんなに変える必要はなさそうだ。

2012年12月22日土曜日

冷たい雨

ネット上で、長く音信不通であったかつての知己の名を見つけ、嬉しくなる。
彼の語る言葉自体には哀しくなったものの。

今は耐える。
哀しき理想を今なお語るあなたには、元々視えていなかった筈の、この場所で。

三連休の初日、外は冷たい雨。

2012年12月9日日曜日

流水書房青山店、年内で閉店

青山ツインタワー内の書店、流水書房青山店が年内で閉店と聞いて、驚いた。
既にTwitter等でも情報が流れている(追記:青山ブックセンターのサイトにも掲載)。
12月28日が最終との由。

お会いしたことはないが、業界でも有名な、文学に造詣の深い書店員さんが居て、ユニークな棚作りをされていた。以前、作家・川崎彰彦のミニフェアを開催していた際に行ってみたが、川崎彰彦のフェアに兄の英文学者・川崎寿彦の本を並べるマニアックさに一驚した記憶がある(こちらの記事参照)。その後もたまに棚を覗きに行ったりしていた。

残念という他ない。閉店までに一度行っておきたいなあ。

追記:メインブログにも記事を書きました(流水書房青山店の閉店について)。



2012年9月16日日曜日

九鬼次郎「鏡」

鏡 九鬼次郎

鏡を覗いてみたとて何の慰めになろう
鏡の中に秋の女が蒼ざめている
過去になってしまうと
すべてが僕には味気ないのだ

鏡には接吻の匂いもしないし
やさしい女の頬もうつらない
ただ抜け毛のような憂鬱が
僕のあたまにはびこるばかりだ

ああ 鏡の向こうに
女からの音信の数々が
枯れ葉のように積もり 埋もれている

―足立巻一「鏡〜詩人九鬼次郎の青春と歌稿」(1970年・理論社)より

いのちとしての過去、可能性としての過去〜足立巻一「鏡〜詩人九鬼次郎の青春と歌稿」(3)へ戻る

九鬼次郎「奇形児の歌える」


奇形児の歌える 九鬼次郎

私が巷を行くと
人々の瞳は急に異様な輝きを帯びてくる
それは私が歩み去った後を
必ず一抹のうそ寒い風が流れるからであろう


奇形の私を人々は
しんしんと闇空を星よりくだって来た
深夜の恐ろしい妖精と見るらしいのだ

よろしい
私は一個の怪奇な妖精ともなろう
奇形 奇形
烙印の中で今はもう蒼冷めている私ではない

私の存在は人々に妙な不安を唆るのであろう
人々のおどおどした神経の慄えを
私は頭のてっぺんに判然と知ることが出来る

ああ 星から下ってきた深夜の異端!
星の子なれば星の子の如く
時には激しい光芒の輪に包まれる私でもあろう

私の歩みゆくところ
人々の胸に一条の業火が突ッと燃えあがる日を
人々が無尽の力に鞭打たれて驚愕に悶絶する日を

―美しい混滅の一瞬よ
その日を私は密かに予期することができる
それゆえ
人々の中で私の目はつめたく見開かれているのだ


―足立巻一「鏡〜詩人九鬼次郎の青春と歌稿」(1970年・理論社)より

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