「わたしは走り去る真夏の野を見ながら、「愚直、愚直」と理由もなしにつぶやいてみた。どうやら、わたしもそれにあこがれる年齢に達したらしかった。山歩きもおそらくこれが最後になるだろう。あとは愚直に宣長と春庭を読むほかはあるまいと思った。」
(足立巻一「やちまた」1974年河出書房新社、1995年朝日文芸文庫)
・・・・1967年、急行「きたぐに」に揺られる車中で、恩師拝藤教授こと伊藤正夫の言葉を思いながらの、当時54歳の足立巻一の心境。
私も当時の足立の年齢まで、10余の齢を残すのみとなった。足立にとっての本居春庭のように、生涯を賭けて愚直に追いかける対象は、まだ見つからない。
今の自分には愚直の入り口に立つ資格すらまだないようだ。だから今でも、何を探すでもなく、それでも何かを求めて、また新しい本を買ってしまう。